今年3月29日、国内外で活躍した彫刻家の舟越桂さんが逝ったのでした。
私が最後に舟越桂さんにメールを送ったのは今年の1月28日。見返す事ができません。
1988年、西荻窪に住んでいた私は先輩に誘われてモデルを囲んでクロッキーをする「デッサン会」に参加しました。今も月に一度行われています。舟越桂さんもメンバーでした。1978年に美大の彫刻、日本画科卒の人達中心に杉並区の文化センターの和室で始まりました。
私がデッサン会「はげむら会」に参加した頃から、桂さんは美大生なら誰でも知っている活躍ぶりでした。
初めて見た作品は、1980年の夏休み。北海道のトラピスト修道院の聖母子像でした。若い彫刻家が彫ったものです、と、案内の男性の説明を受けました。高いところにあり、大きくて木の匂いがしました。カトリック信者でない20歳の私にも初々しさ溢れる母子像に見えました。(2003年放送の番組「日曜美術館」では50歳を過ぎた桂さんが逢いに行ってましたね)
デッサン会は月に一度夕方から始まり片付けの終わる21:30過ぎたあたりから皆でお決まりの店に流れて、夕食をするのです。初めて参加した日も皆さんと夕食をしたと思います。
どの先輩達も気さくで優しかったです。桂さんはおしゃれで格好良くて実年齢より若く見えました。大活躍の作家とは思えないくらい、誰にでも分け隔てなく接して面白いし優しい人。難しい言葉は使わないけど、話が魅力的でした。飲んでも飲まなくてもよく話す人達で、画材の話、国内外の美術展の話、映画の話、読書の話、音楽の話、私の知らない世界を語り合う先輩達に囲まれるのは楽しくてたまりませんでした。
そうそう、まだ多摩美の副手だった頃にフリーター(フリーランスと書くべきか・・・)希望だった私は、デッサン会の先輩から県立高校の非常勤講師の仕事をいただき、晴れてフリーターになれたのでした。(時々、金銭の苦労から副手を辞めなければ良かったと悔やむ時がなかったわけでもないのだけれど)
個展の初日にはお祝いに行くデッサン会メンバー。銀座にあった頃の西村画廊の個展では、人気者の桂さんは沢山の人に囲まれていました。「二次会の会場を教えてくれ。俺、終わったらそっちに行くから」と告げられ、会場探しはもっぱら私の役割でした。安くて多人数入れるお店。決まるとお店の名前と電話番号を紙に書いて伝えます。(まだ携帯電話のない頃で画廊のスタッフにメモを渡していました)。
メンバーの体力が有り余っていて、時間を絞り出せた頃の話ですが、長い休暇のある時に舟越家の別宅を合宿所代わりにして遊んでいました。フリーターの私は小刻みな締め切りが多く、合宿には一度しか参加してないんですが、その一度が岩手県の安比と言うところ。スキー場が近くにありました。合宿所は舟越保武先生の別荘。確か2泊したかな?盛岡市内観光もしました。「いちご煮」という美味しいお蕎麦をいただきました。東京に戻る時、私も高速道路の運転を任されたものでした。
1999年に日本テレビの深夜放送「美の世界」で私の特集があった時に「みたよ!」と真っ先に電話くれたのは桂さんでした。普段は「お前の作品よりお前の方が面白い」と桂さんから言われていました。テレビでは、というと、そのド緊張ブリったら!!なんの面白味もない私でしたが、桂さんは茶化すことなく感想を伝える人でした。40歳になって初めて文化庁の国内研修員の推薦をいただき、面接での自分の失態を聞いてもらいましたし、不慣れな時代小説の仕事を始めちゃった事の大変さ、そしてその道に進むべきか?など、その他にも美術の仕事でぶち当たった時に、的確なアドバイスと背中を押してくれたのも桂さんでした。
2002年に故山本兼一さんの小説『白鷹伝』の表紙絵の描き下ろしをして以来、山本さんとの歴史小説の仕事をするようになり、2009年には山本兼一さんの『利休にたずねよ』が、第140回直木賞を受賞したのです。なんと天童新太さんの『悼む人』とダブル受賞で、その装画(表紙カバー)は舟越桂さんの作品画像なのです!帝国ホテルでの直木賞授賞式に参加したら、桂さんも三沢厚彦さんといらしてました。華やかな会場で所在ない私は2人の姿を見つけて隣に行って、文学界のパーティーを眺めながら一緒に佇んでいました。
直木賞の発表のあった翌日から書店では、受賞者の関連本を平積みにして目立つところに並べます。当初、私は山本兼一さんの書籍の7割の表紙を担当してました。天童新太さんは『永遠の仔』『悼む人』が桂さんの作品写真が表紙に。デッサン会のメンバーも「俺らの仲間😉」と心で呟いて喜んで眺めてくれたほど、店頭で面積を使って書籍が並んでいました。
長くなりました。最後にご縁の話を書いておしまいにします。
2022年の8月15日から朝日新聞の朝刊連載小説「人よ、花よ、」(今村翔吾作)の挿画を担当しました。南北朝時代に南朝の後醍醐天皇を支えた楠木正成。父亡き後の息子の楠木正行の半生を描いた小説です。ちょうどこの時期はコロナ禍であり、デッサン会は2020年春から休会状態。桂さんはその頃に肺を患い外出を極力避けていると聞いてました。2020年の末から開催された松濤美術館の個展には本人はビデオでの登場でした。しかし、そんな中でも新作を発表し続ける作家です。表現する覚悟と意志の強さを新作からも感じます。2023年の年晩秋に、デッサン会メンバーで日本画家の杉本洋さんから「桂が9月に手術したあと退院できないんだってさぁ」と聞きました。コロナ禍でもあり、家族にもなかなか会えないと。でも電話の声はいつも通り屈託なくてベッドに横たわっているのは想像がつかないんだよなぁ、と。桂さんが入院している?驚きました。もし今後会う機会がなければ、自分が後悔するだろうと思いました。それに暫くご無沙汰していたので、思い切って新年の挨拶を兼ねて今までのいくつもの感謝を言葉で伝えたくなって長文のメールを送りました。新聞はまだ連載中だったので、元旦の連載小説の紙面写真と新聞デジタルのURLも添付しました。
2021年度に故郷で開催した個展の記録動画の事、たくさんの失態を励ましに変えて背中を押してくれたことなどなどなど・・・。なんとか元旦中に送信できました。
1月2日の午後、メールチェックをしたら、未明には返信を下さったことを知りました。もしや30分もある記録動画にも目を通してからの返信だったのだろうか。こんな時は誠実な人柄に恐縮しちゃうのです。
1月下旬にテレビ番組の事でメールを送り、やり取りをしたのが最後となりました。見返せないでいますが、1月28日に届いた「火事に気をつけてね。元気で。」が本当の最後だと思います。
デッサン会の創立メンバー彫刻家の池田秀俊さんにこれを伝えると「羨ましいくらいのご縁だよ」と笑ってくれました。この無理クリな親父ギャクみたいな繋がり、桂さんに伝えたかったなぁ〜。。。
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今年の奉納画は、小説の中で散った楠木正行と、美術界の巨星、人間味あふれる優しい先輩で勇気ある彫刻家で恩人の舟越桂さんを描きました。
「クスノキ」繋がりのこと、伝わって笑っているといいなぁ。 北村さゆり拝
彫刻の森美術館 開館55周年記念「舟越桂 森へ行く日」
は、2024年7月26日 (金) ~ 11月4日 (月・休)まで。彫刻の森美術館 本館ギャラリーで開催。