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始まりました。

それぞれの表現!そして今が始まりました。
11月3日のギャラリートークには、決して交通の便が良いとは言えない会場に50名程(もっと多かったと思う)のお客さんが来てくださり、10人がそれぞれの想いを語りました。この写真では、立体作品が今ひとつうまく撮れてないので申し訳ないけど、フロアーの3つに分かれた展示室の会場写真です。上の段左から、拙作品「絵画」、伊藤武文「染」、田宮話子「絵画」、藤田俊哉「絵画」、大杉弘子「書」、大塚亮治「面の展示壁」、2段目左から松浦澄江「インスタレーション」、大城章二・2枚「ブロンズ」「ドローイング」「エッチング」、坂田和之「絵画」、大塚亮治「面」「面」、3段目岐部琢美「鉄と石の立体」。世代・材料は様々。

温かく真面目さ伝わる染織家の伊藤さんは、作品から香味わいのまま飾らないダンディーな大人。精密で確実な技術を持ち、バロック音楽のような味わいを美しい色感で表現する藤田さんは、立ち姿も持ち物も全てがオシャレ。能の面打ち師の大塚さんは、本当にホンモノの面打ち師でピュアな作り手という印象。優しさと強さを感じます。ベネチアビエンナーレに参加した経験のある大城さんは、言葉は少ないけど、その端々から懐の深さが垣間見られます。この展覧会のプロデュースに関わってくださった坂田さんは文章も書けるし、話も達者。教育者としての引率力があります。岐部さんは、「明暗」「陰陽」のように「対」にこだわって作品を創り続け、話が上手で長い。皆を引っ張る教育者の顔が見え隠れします。ベテランの松浦さんは、知識が豊富でバイタリティーあふれる女性。和紙と金属箔で空間の角を演出。生きるエネルギーの塊のような大杉さんは、一度お会いしたら絶対に忘れない存在感。たくましい女性。田宮さんは、今回のメンバーでは最年少。態度には初々しさと可愛らしさがあるけれど、安定感のある作品を生み出す落ち着いた風格。
因みに、「藤田さん」は高校の後輩で付き合いが長いので、普段は「フジタクン」。「岐部さん」は、フジタクンと私の高校時代の恩師。普段は「キベセンセイ」と呼んでいます。

静岡県のグループ展への参加は今回が初。しかも、高校生の頃から見てきた大先輩と一緒。皆さん真摯に作品について語っていて、6番目が私の順。自分の作品の前に立つのは恥ずかしいし、苦手です。作品について話す事も大切だけど、今の自分をちゃんと話すべきだったと、残念に思い補足します。
正直、3.11以降、穏やかな気持ちで日常を過ごす事が出来なくなっています。そして、生活の一番の関心事は「人災と言われる原発事故 と 日本のエネルギー問題」です。福島県だけでなく、ホットスポットになった地域を、国策で原発推進してきた政府と、事故の当事者東電が、今後どう扱うのか?私も半世紀以上生きてきた訳で、原発のことを「クリーンエネルギー」と信じていたけど、こんなに恐ろしい事になると知った今では、責任をとるべき大人の一人だと自覚しています。これが一番の関心事なのです。生きる事が=制作する事。この事を話せなかったのです。

聴きに来てくださったギャラリーの中には、美術に「非日常」を求めて、明るい気持ちになるために来た人も少なからずいるかも知れないと思ったのが、言えなかった第一の理由です。展示会場には、作者の語りで作品世界への誘いとなる言葉が流れ、良い感じです。それを変えてはいけないという、私なりの気遣いもあり、正直な自分を語るに至りませんでした。
今、メデイアの多くが、事故が収束に向かっているかのように伝え、大震災後の復興に向け「未来に向かう被災者」にスポットをあてます。なぜ人災事故の根源を追求して、原因を突き詰め、正そうとしないのか?「知らなかった自分」も含め、政府に全てを任せたまま見過ごしてきた大人全員で責任をとろうとしないのか?報道には違和感を感じます。人災事故により、人生設計を変えざるを得なくなった人の苦しみや決断を想像できるでしょうか?それは、想像をはるかに超える事であり、完全な補償なんてあり得ないとわかっていながら、3.11以前の生活に戻せると言い切れるでしょうか?この現実に「臭い物に蓋をする」ような空気。しかし、それでいいのでしょうか?静岡カントリー浜岡コースは、浜岡原発から4キロほど。静岡に住む友人知人は「原発が停止して良かった」と口々に語ってます。でも、今東海沖地震がきたら、浜岡だって危ないのだと現地は知っています。現実に起きている事に蓋をしないで、その原因の根本を考える時だと思います。

私に出来ることは、絵を描く事。募金をする事。メデイアには流れないのなら、自分達でエネルギーについて語り合い、原発問題を利権だけで図らないよう、国民皆の意見を届けようと、仲間に呼びかけることです。暮らしぶりは3.11前とあまり変わらず、いつも筆を握っています。美術館に作品を見に行く回数が減る事もなく、美術は面白いと思います。化学が生み出した放射性物質により自然界が汚染され、生命が今まで通りでなくなり始めている今、上を向いて何かを変えないといけないと思っています。その問題を作品に向けて、何ができるのか?作品制作となると、つい硬くなっている私。今回のように、大きな会場に作品を展示できるのは、勉強になります。「もっと△※○Xすれば良かった」と、沢山反省して、恥ずかしくなる事が、次ぎに繫がるといいのですが・・・。3.11で、自分の中も変わったかもしれないのです。

こんな内容を時間をかけて話したかったのですが、話好きな大人が10名もいたら、何時間あっても時間が足りなくなるでしょう。 この場を借りて、このグループ展の主旨も込めて補足させていただきました。北村さゆり拝

─ 2011年11月5日(土)